五十嵐博

臨床はラディカルになるときこそ危険である。ありふれていることが肯定されねばならない。優れた治療者とは凡庸な治療の良さを知る人なのである。 自分たちが持つ医学的な背景から築かれた認識や価値観よりも、患者の持つ意向や価値観をより尊重した中で、患者にとって最も望ましい方向性をともに見出していく。 エキスパートは答えを知っているが、重要な問いを知っているのは達人だけ。エキスパートは知っていることに喜びを感じ、達人は知らないことに喜びを感じる。 記述することから問うことへ―客観的記述であれ、主観的記述であれ、記述することは問うことを超えることはできない。 戻っていくべき本来の姿などないことを認めたうえで、「疎外」という言葉で名指すべき現象から目を背けないこと。 労働の廃棄でも、本来的な労働の開始でもない、労働日の短縮。 人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾られねばならない。 因果的な問いにデータのみで答えることは決してできない。